「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録

【祝】「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録


 

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

2021年7月21日、

ユネスコ世界委員会が

国の特別史跡「三内丸山遺跡」(青森市)をはじめとした

「北海道・北東北の縄文文化遺跡群」を

世界遺産とすることに決定しました!

 

おめでとうございます!

 

国内の文化遺産は20件目で、

紀元前の遺跡ははじめてとのことです。

 


「北海道・北東北の縄文文化遺跡群」って?

 

今から約15,000年前から約2,400年前までの間を

縄文時代と呼びます。

 

縄文時代は日本独自の呼び方で、

ヨーロッパでは

旧石器時代~ローマ帝国の成立までに相当します。

 

縄文時代以前は寒い気候が長く続いた旧石器時代、

以降は稲作農耕文化である弥生時代となります。

 

このたび縄文遺跡群として登録されたのは、

北海道(6)・青森県(8)・岩手県(1)・秋田県(2)に点在する17遺跡です。

 

北東アジアにおいて長期間継続した採集・漁労・狩猟による

定住の開始、発展、成熟の過程及び精神文化の発達をよく示しており、

農耕以前における人類の生活の在り方と、精緻で複雑な精神文化を表しています。

 

これらの遺跡を通して、縄文時代の初めから終わりまで

その返遷を連続して切れ目なく説明できるような構成になっています。

 

17遺跡は以下の通りです。

 

  1. 大平山元遺跡(青森県):縄文時代のはじまりを示す遺跡
  2. 垣ノ島遺跡(北海道):居住地と墓域の分離を示す集落跡
  3. 北黄金貝塚(北海道):内浦湾に面した大規模な貝塚を伴う集落跡
  4. 田小屋野貝塚(青森県):古十三湖の面した貝塚を伴う集落跡
  5. 二ツ森貝塚(青森県):海水性及び汽水性の貝塚が環境の変化を表す集落跡
  6. 三内丸山遺跡(青森県):多様な施設で構成される大規模な拠点集落
  7. 大船遺跡(北海道):祭祀場が発達した拠点集落跡
  8. 御所野遺跡(岩手県):墓域と祭祀場を中心とした拠点集落
  9. 入江・高砂貝塚(北海道):共同の祭祀場や墓地を支えた集落跡
  10. 小牧野遺跡(青森県):複雑な配石構造を持つ大規模な環状列石
  11. 伊勢堂岱遺跡(秋田県):4つの環状列石が集中した祭祀遺跡
  12. 大湯環状列石(秋田県):規則的な構造を示す2つの環状列石
  13. キウス周堤墓群(北海道):高い土手で囲まれた共同墓地
  14. 大森勝山遺跡(青森県):岩木山麓につくられた大規模な環状列石
  15. 入江:高砂貝塚(北海道);内浦湾に面した共同墓地
  16. 亀ヶ岡石器時代遺跡(青森県):芸術性豊かな土偶や多彩な副葬品が出土した共同墓地
  17. 是川石器時代遺跡(青森県):竪穴建物・土坑墓・水場・捨て場などを伴う集落跡

 


縄文時代、人はどんな暮らしをしていたのか

 

当時の北海道~北東北は

山地、丘稜、平地、低地など変化にとんだ地形であり、

水が豊富な内湾や湖、河川も形成されていたといいます。

ブナ林を中心とする森林が広がり、

海では暖流と寒流が交差する豊かな漁場が生まれ、

恵まれた環境にありました。

 

人々はこの環境のなかで食料を安定して確保し、

縄文時代のはじまりには土器を使用して定住を始め

 

その後、1万年以上にわたって気候の温暖化・寒冷化や

海進・海退などの環境の変化に適応しながら

採集・漁労・狩猟を基盤とした生活を送っていました。

 

また、定住を始めたごく初期から、

墓地を作り、祭祀・儀礼の墓である捨て場や盛土、

環状列石などを構築し、

祖先の崇拝や自然崇拝とともに

豊穣への祈りや互いの絆の確認などが

世代を超えて行われていたということが

遺跡を通じてわかりました。

 


縄文の人たちにとって

死は一瞬の出来事ではなかった?

 

遺跡群のなかには、「環状列石(ストーンサークル)」と呼ばれる

遺体を埋葬した周りを囲むように石を配置した

お墓の跡があります。

 

これを紐解くと、

「縄文の人たちにとって死とは一瞬の出来事ではなかった」

ということを知ることができます。

 


遺体を埋葬したときと、

石でその周りを囲んだときに時間差がある

 

大湯環状列石をはじめとした

環状列石(ストーンサークル:集団墓地)は、

遺体を埋葬したときと石でその周りを囲んだときに

時間差があることがわかっています。

 

このことから、埋葬後に現代でいう追加供養のようなことをしていて

それは当時の人々にとってすごく大事なこととされていたと考えられます。

 

人が亡くなったあとも亡者との関わりを持つことは

いまを生きる人の精神的な支えとなり、

集団としての結束を固めるときに

先祖を共有することが社会的にも非常に意味があったのかもしれません。

 


「石」が使われたことの意味

 

大湯の環状列石には、たくさんの石が使われています。

 

それも、このストーンサークルを作るまでに

約200年もの時間をかけてできたとされています。

 

なぜ、「石」なのでしょうか。

これは現代の私たちにも通じる理由だと思います。

 

石は腐ることはないので、世代を超えてその場所をずっと伝えられます。

 

墓地を作って石を使った人たちはいずれ亡くなってしまうわけですが

その墓地が精神的に意味のある空間として引き継がれていかなければいけません。

 

だからこそ、

いつの時代も「その場所が墓地である」とわからないとダメで

その場所を示す石は大事な役割を果たしたと考えられています。

 


いかがでしたか?

 

世界遺産登録を機に、

地元の土地の古い歴史や文化を

みなさんと一緒に共有したいと思い

記事を書かせていただきました。

 

これからも新たな発見が見つかるといいですね。

 

改めてこの度は世界遺産登録、おめでとうございます!

 


引用文献:月刊石材 p10-12 『祝!「北海道・北東北の縄文遺跡群』世界遺産登録‼』

月刊石材 p50-54 『◎「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録記念・特別インタビュー 「縄文人の死生観とは?」』青森県企画制作部世界遺産登録推進室 世界文化遺産登録専門監 岡田康博

 

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の推薦が正式に決定しました!!-青森県庁:

https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kikaku/sekaiisan/recommend.html

大湯ストーンサークル館:

https://www.city.kazuno.akita.jp/kanko_bunka_sports/bunkazai/7/5593.html

 

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