おはようございます。青森県弘前市 大湯石材店の横山です。
突然ですが、
「人生の終わりに、私たちは何を持っていけるのだろう?」
そんな問いについて考えたことはありますか?
今日は、仏教の寓話「四人の妻」のお話を通して、
“終活”についてやさしく考えるきっかけになればと思い、ご紹介します。
仏教寓話「四人の妻」
昔々、ある国に四人の妻を持つ長者がいました。
- 第一の妻:最も愛され、大切にされた女性。どこへ行くにも一緒。欲しがるものは何でも与えられました。まるで彼女の言いなりというほどの可愛がりようでした。
- 第二の妻:激しい争いの末に手に入れた女性。いつも気にかけており、外出する時は片時も離さず、家に帰ってからは鍵のかかる部屋に入れ、勝手に出ていかぬよう見張りまで立てるほどでした。
- 第三の妻:時間もお金もかけて大事に育んだ女性。喜びも悲しみも分かち合い、励まし合うような存在でした。
- 第四の妻:長者のために黙々と働き続けた女性。男にとってほとんど召使いと変わらず、彼女は男の意のままに立ち働きました。しかし、夫からはなんの愛情も受けず、存在自体が忘れ去られているようでした。
ある日、長者に「遠い国へ旅立て」という王の命が下ります。
そこで彼は妻たちに一緒に来てほしいと頼みますが…
-
第一の妻:「私は行けません。一人で行ってください」
-
第二の妻:「とんでもない!行きたくありません」
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第三の妻:「国境までは付き添います。でもその先は…」
長者はいよいよ困り果てて最後に頼った第四の妻だけが、こう言いました。
「はい。私はあなたと、どこまでも一緒に参ります」
こうして長者は、最も冷遇していた第四の妻とともに旅立ったのです。
―引用『ものの見方が変わる座右の寓話』(戸田智弘・著 出版社:株式会社ディスカヴァー・トゥウェンティワン)p282-287
原典:『雑阿含経』
寓話が伝える「この世」と「あの世」の話
この寓話は、単にお金持ちがハーレムを作っているというお話ではありません。
それぞれの妻は、私たち自身の人生の一部を象徴しています。
ある国とは「この世」、遠い国とは「あの世」のこと。
さらに、
🟢 第一の妻:肉体
どれほど大切にしていても、死後には残せません。やがて土に還ります。
🟡 第二の妻:財産
どれだけ努力して築いた財産も、死ぬときに持っていくことはできません。やがては誰か他人のものになってしまいます。
🔵 第三の妻:家族・友人
悲しんで見送ってくれても、一緒に旅立つことはできません。付き添えるのは墓場まで。そこから先は一人旅です。
❤️ 第四の妻:自分の心
生きている間、人は目に見えるものだけに一生懸命になり、目に見えない心はいつも後回しにされます。でも、あの世までついてきてくれるのは、唯一この“心”だけなのです。
「心」とはどこにあるのか?
このお話は、心が「あの世」と「この世」をつなぐことを示唆しています。
一番~三番の妻についてはわかりやすく理解することができると思うのですが、難解なのが四番目の妻についてです。
この本の筆者は「心」は自分の中に存在するのではなく、自分と他人との関係性に存在するものとして考えています。
自分以外の人や動物、植物との関係を大切にして生きること、優しい気持ちで接することが心を働かせることになる、と。
「この世」で心を十分働かせることができれば、「あの世」に旅立った後も、自分が生前に接した人や動物、植物の中に「よい思い出」として蓄積され、その「よい思い出」は「この世」と「あの世」を繋いでいるといいます。
思い出こそ、人生の宝物
人間が人間に贈る最大の贈り物は『よい思い出』だという話があります。
モノは壊れたり、色褪せたりしてしまいますが、『よい思い出』は壊れたり色褪せたりすることなく、ずっとあり続けるからです。
誰かとのあたたかな記憶。
優しさを受け取った瞬間。
静かに交わした言葉。
それらが心の中に残り、
やがて次の世代に語り継がれていくのです。
良い思い出を人からもらうようにしなさい。
それと同時に、よい思い出を人に与えるような人間になりなさい。
このような教えがこの物語にの中にあるのではないかと私は考えています。
おわりに
「終活」は、モノの整理だけではありません。
心を整えること、
そして、誰かの心に“よい思い出”を残すことも、
とても大切な終活のひとつです。
この記事が、「あなたの心」と向き合うきっかけとなりましたら幸いです。
本日もあなたが穏やかな一日を過ごされますように。
最後までお読みくださりありがとうございました。