お知らせ

オーラカラー診断でわかる「チャクラ」とは?

2018年11月7日

こんにちは。青森県弘前市 大湯石材店のお墓のブログです。

天気が落ち着いて気持ちがいいですね( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

先日のブログでもお知らせしておりますが、大湯石材店では「オーラカラー診断」ができるって知ってましたか?

 

オーラとは、すべての人が纏っている目には見えない層のことです。生きている人は全員あります。

性格や特徴、精神状態や環境によって色は異なり、たいていの方は複数の色を持ちます。

そのときの体調などにも左右されるため、1度診断しても次に診断したときは違う色になっていることも。

 

👇オーラカラー診断について詳しくはこちらの記事でご紹介しております。👇

http://os-net.jp/%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%a9%e3%83%bc%e8%a8%ba%e6%96%ad.html


さてさて。

本日は、オーラカラー診断(FULLレポート 4,320円(税込))でわかる「チャクラ」についてご紹介していきたいと思います。

 

◆「チャクラ」とは?

チャクラとは、身体にあるエネルギーの出入り口のことです。

ヨガなどでもよく使われる言葉ですね♪

 

このエネルギーの出入り口であるチャクラ。私達が生きている間はずっと開いている状態です。

チャクラで受け取ったエネルギーは螺旋を描いて身体を巡り、またチャクラを通して身体の外に開放されます。

身体に7つあるチャクラにスムーズにエネルギーが出入りすることで、私達は心身共に健康でいることができるとされています。

 

チャクラの大きさはだいたい10cmくらいが平均とされています。

たいていの人は、多かれ少なかれ大きい場所があったり、小さい場所があったりと偏りがありますが、その人の個性なので特に気にする必要はありません。しかし、どこかのチャクラがやたらと大きくなり過ぎていたり、極端に小さくなり過ぎていたりする場合や、チャクラの形が歪んでいる場合は要注意です。

 

例えば、第1チャクラが小さく、第7チャクラが大きい場合は、創造力豊かで夢見がちであるが、現実的に生きる力がなく地に足がついていない状態だったり。

逆に、第7チャクラが小さく、第1チャクラが大きい場合は、しっかりと現実を確実に生きることはできるが、直観が働くことが少なく、豊かな心で生活することが難しい状態だったり…。といった感じです。

 

何事もバランスが大事、ということですね(*´꒳`*)

 

▽あなたのチャクラの状態を知る方法はこちら▽

 

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オーラカラー診断は、現在のあなたの状態を測定するものです。

後々になると、またそのときの状態しか知ることはできません。。。(´・ω・`)

 

気になったら今すぐチャレンジしてみてくださいね♪

ご来店お待ちしております。

ではでは。

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最新情報

11月21日 有名人のお墓

2018年11月21日

こんにちは(^ω^) 弘前市おおゆ石材のブログです!

本日は 一休宗純(いきゅうそうじゅん)の命日です。

一休宗純(1394年~1481年)は室町時代の臨済宗の僧侶です。

生まれは京都で、幼いころから仏門に入り17歳で戒名を宗純と改め、大変優秀で頭がよく、才能があり、私達がよく知る一休さんのモデルとなった人物です。

22歳の時、京都の大徳寺に入門し、「一休」の名を授かります。修行に励む一方で権力や肩書を嫌い、庶民のために地方を転々としながら仏教の教えを説いて旅をしていました。長年、放浪生活をしていましたが、63歳となったとき戦火でやけた妙勝寺を立て直し、酬恩庵と改め生活するようになりました。

1474年応仁の乱で焼けてしまった大徳寺の復興のため、一休は80歳にして第47代住職になりますが、酬恩庵から大徳寺に通ったと伝わっています。

1481年流行り病で87歳の長寿を全うし、一休が25年過ごした酬恩庵は「一休寺」と呼ばれるようになりました。

一休のお墓は京都府京田辺市の酬恩庵(一休寺)にあります。

が、一休禅師は御小松天皇の皇子であると言われているため、墓所の管理は宮内庁が行っていて、御陵墓であるため門扉は閉ざされて残念ながら中へ入ることができないようです。

お参りはできませんが、酬恩庵の境内には趣のあるお庭が広がっていて、墓所の周辺だけでも見る価値はあるそうです。

 

 

 

 

まだまだ調査中のお墓2

2018年11月19日

こんにちは。

気温の低い時期ですが、雨が降るとさらに寒く感じますね。

小雨だからといって、傘を忘れると体が冷えてしまうので、防寒対策はしっかりとしたいものです。

 

さて。

今回は前回の続きから。

 

ピラミッドのお墓説が強いのは、古代エジプトの信仰に関連する祭殿や付属品、墓地等が近隣から発見されているためで、葬礼に関連していると考えるのが自然ということからのようですが、ピラミッドがお墓ではなかったにしろ、国の為の建造物(例えば巨大な貯蔵庫、または天体観測所等)の建設となれば人手は必要になります。

なぜピラミッド建設は国家事業だったのではないかという説があるかというと。

この時代はナイル川の氾濫に対して、現在のような対策ができていなかったと考えた場合、畑を使えない農民などの労働者は失業していまします。

この労働者の労働力の有効活用の為、人員を募集したのではないかということです。

 

国からの報酬は主に食料で、パンやビールだったようです。

ビールといっても、現在のようなものではなく、アルコール度数は低くミネラルが豊富な栄養食品だったようです(日本でいう「飲む点滴」といわれる甘酒のようなものでしょうか?)。

そして、驚くべきは配布される量。

現在の単位に換算すると、約4Lだそうです∑(゚Д゚;)

アルコール度数が低いといっても、アルコールに強い弱いは個人差があります。

そりゃあ、二日酔いで休みますの人がでてもおかしくないですよね(笑)。

お腹いっぱい飲み食いして、二日酔いで休みももらえるなんて、羨ましいと思うでしょうが、そうでもありません。

 

基本的に、この国家事業には定休日はなく、働いたら働いた分の給料支給という形態で、しかも日中は35℃以上の気温に炎天下の長時間労働。

少しの体調不良も命取りの現場で、事故回避、責任追及、ストライキ(のようなものがあったかはわかりませんが)等が起こらないようにと配慮すると、申請された休日は通しますよね。

このような過酷な環境では、高い報酬や良い条件でなければ、求人は失敗します(笑)。

 

時代が変わっても、働くことは同じです。

健康でなければ働けないし、働かないと生活はできません。

日々健康に。

みんなで頑張っていきましょうヽ(^o^)丿

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