こんにちは(^ω^) 弘前市おおゆ石材のブログです!
本日は 一休宗純(いきゅうそうじゅん)の命日です。
一休宗純(1394年~1481年)は室町時代の臨済宗の僧侶です。
生まれは京都で、幼いころから仏門に入り17歳で戒名を宗純と改め、大変優秀で頭がよく、才能があり、私達がよく知る一休さんのモデルとなった人物です。
22歳の時、京都の大徳寺に入門し、「一休」の名を授かります。修行に励む一方で権力や肩書を嫌い、庶民のために地方を転々としながら仏教の教えを説いて旅をしていました。長年、放浪生活をしていましたが、63歳となったとき戦火でやけた妙勝寺を立て直し、酬恩庵と改め生活するようになりました。
1474年応仁の乱で焼けてしまった大徳寺の復興のため、一休は80歳にして第47代住職になりますが、酬恩庵から大徳寺に通ったと伝わっています。
1481年流行り病で87歳の長寿を全うし、一休が25年過ごした酬恩庵は「一休寺」と呼ばれるようになりました。
一休のお墓は京都府京田辺市の酬恩庵(一休寺)にあります。
が、一休禅師は御小松天皇の皇子であると言われているため、墓所の管理は宮内庁が行っていて、御陵墓であるため門扉は閉ざされて残念ながら中へ入ることができないようです。
お参りはできませんが、酬恩庵の境内には趣のあるお庭が広がっていて、墓所の周辺だけでも見る価値はあるそうです。