こんにちは。
昨日の雨がウソのような秋晴れですね(^o^)丿
天気が良いのは気分のいいものですが、秋の紫外線も注意が必要です。
日焼け対策は万全に。
さて。
今回は前回の続き、新原・奴山古墳群について。
21号墳
5世紀前半につくられたといわれている円墳。
21号墳の大きな特徴として、古墳の上に石柱が立っていることがあげられます。
石柱は全部で8基。鎌倉時代の供養塔といわれています。
このことから、鎌倉時代には既に、この場所は山ではなくお墓という認識があったのではないかと推測されています。
もうひとつの特徴としては、別の古墳(次回紹介予定の22号墳)の周溝(※)が、この古墳を避けて築造されているということです。(※古墳の周りにつくられる溝の事)
このことから、21号墳は、この地域の地元である勝浦の小首長の古墳なのではないかと考えられています。
祭祀を行っていたであろう宗像氏が、地元の首長に対して敬意をはらっていたとすれば、政治的な気配も感じますね。
地元の力が宗像氏と同等だったのか、もしくは、首長の後ろ盾があって宗像氏が大きくなったのか。
外交も大事でしょうが、内乱は国を亡ぼす厄災ですからね。困りますからね。
想像するととても面白いです。
今回はここまで。
次回は22号墳についてお話ししたいと思います。