戦国武将のお墓

こんにちは。今回は、戦国武将のお墓をご紹介いたします。

 

鬼義重と恐れられた大大名 佐竹義重 (1547~1612)享年66歳

 

戒名 知足院殿通庵闐信大居士 命日 旧4月19日 新5月19日 死因 事故死(狩猟中に落馬)

 

お墓の場所 万国山天徳寺 秋田市泉三嶽根10-1 菩提寺の総門・山門・本堂・奥書院・御霊屋は国指定重要文化財

 

人物プロフィール

常陸国太田城主。伊達政宗・北条氏政といった強大な勢力と四つに組んで戦った勇将で、土豪勢力の抵抗に苦しみながらもこれを一掃。

水戸城を攻略して、常陸一国を統一した。さらに、次男の義広を蘆名家、三男の貞隆を岩城家、四男の宣家を多賀谷家に送り込んで嗣がせ

版図を飛躍的に拡大した。

北条・伊達同盟の挟撃にあった際は、豊臣秀吉に仕えた。その後は家督を嫡男の義宣に譲り、隠居の身となる。関ケ原の戦いでは中立を

保ったが、佐竹家は秋田に転封となった。

(戦国武将お墓参り手帖から引用)

 

佐竹家は元々茨城県常陸太田市の大名で、秋田の転封後に嫡男の義宣が初代秋田藩主となったんですね。是非機会があれば、

佐竹家のお墓をお参りしたいものです。

 

 

 

 

 

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