意外と知らなかった?「伝統的なお墓」っていつからの話?

こんにちは。青森県弘前市 大湯石材店のお墓のブログです。

 

少し冷え込んで今年の冷房の出番はサヨナラかと思いきや、まだまだ暑い日続くんかーい(笑)という感じです。

今年の天気にはフェイントをかけられまくりですね(笑)

なんにせよ、あまり寒くならないうちに食べものがおいしい季節がやってきそうなのは嬉しいばかりです(^p^)

おいしい秋刀魚が食べたいです(^p^)♡

 

さてさて。

今日は【意外と知らなかった?よく言う「伝統的なお墓」っていつからの話?】というテーマで更新していきます。


みなさん。お墓といったらどういうものを思い浮かべますか?

 

およそだいたいの方が連想されるのは

お墓といったらこの形。どん!

という感じではないでしょうか?

これは、お墓の形の中でも「和型墓石(わがたぼせき)」といって、伝統的なお墓の型とされているものです。

 

ずーっと昔からあるような、なんとなくそんなイメージのこの形。

カロート(火葬した遺骨を納めるスペース)が内蔵されているものが一般的ですが、

実はこれ、全国に広まったのは意外と最近の話なんです。

 

今の形が主流になったのは戦後だった・・・?

この和型墓石の形が使われるようになったのは江戸時代からと言われています。しかし、最初はあくまで江戸や大阪、京都など都市部の密集地帯で火葬が行われる際に使われているものでした。当時、民衆のほどんどは土葬、風葬、あるいは遺棄等が多く、この形は広まっていなかったそうです。

衛生上の問題などで火葬の割合が50%を超えたのは1950年代の戦後のお話。火葬が民衆の間に広まるのとともに、このカロート式の和型墓石の形が全国に広まっていったそうです。

今2018年なので…1950年代だと60~70年前。ええ…。学校の日本史の授業で例えると、だいぶ後半に駆け足で習うくらいの最近っぷりです。(※個人の見解です)

 

また、明治時代以前は個人墓が主流で、家族墓というものは見られませんでした。

今ではよく見られる「○○家之墓」という表記や「家族でお墓に入る」という慣習は、明治民法に規定された家制度に基づいて制定された墓制によるものなのです。

 

ふむ。

「伝統的なもの」として伝えられてきたお墓のあり方や形。ずーっと同じものが受け継がれてきたのかと思いきや、今までも時代の背景によって少しずつ変化してきたんですね。

現在、取り上げられることが多い「お墓の承継者がいない」という問題は、明治時代に作られた家制度を引き継いできた慣習と、現代社会にみられる「核家族化」のギャップが原因のひとつなのかもしれません。それによって見えるお墓の形態の変化も、また必然なのでしょうね。

 

個人的な希望ですが、どんな時代の変化があれど「帰る場所がある」人生を送りたいな、と思っています。

それが安心できる暮らしということなのかな、と。それがあるのは当たり前のことではないのでしょうが。

自分が亡くなったとき、それはやはり「お墓」に当たるのかな、と。

もしかしたら、そこにお墓が「石」で作られている意味もあるのかもしれませんね。

 

少しだけ、自分のお墓はやっぱり欲しいな、と思うきっかけになったお話でした。

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