おはようございます。
今朝も寒いですね。風邪をひいていませんか?インフルエンザが猛威を振るってます。気を付けましょう。
さて、今日は徳川家のお墓の第2弾です。前回、増上寺の徳川家の菩提寺についてかきましたが、もう一つの徳川家の菩提寺、寛永寺について今日は書きます。
寛永寺は東京上野のにある、天台宗関東総本山の寺院です。徳川家光が、天海初代住職と創立・開山しました。本尊は薬師如来です。徳川秀忠が現在の上野公園の地を天海に与え、徳川家光の時に、本坊が建立され、寛永寺創立とされています。余談ですが、秀忠に与えられた上野の地には、伊勢津藩主・藤堂高虎、弘前藩主・津軽信枚、越後村上藩主・堀直寄の3大名の下屋敷があった場所だそうです。弘前に関わりある者としては、何か縁を感じないでいられません。
さて、ここ寛永寺には、徳川の将軍6人の墓所があります。4代将軍徳川家綱・5代将軍徳川綱吉・8代将軍徳川吉宗・10代将軍徳川家治・11代将軍徳川家斉・13代将軍徳川家定の6人です。増上寺と共に、6人づつの廟があることになります。当初増上寺から、菩提寺になることに対して、反発もあったようですが、6代将軍徳川家宣の廟が増上寺に造営されてから、増上寺と寛永寺に交替で造営されることが慣例となり、幕末まで続いたようです。これも余談ですが、徳川将軍15代の中で、増上寺と寛永寺以外に廟があるのは、3人だけです。1人は、初代将軍徳川家康で、日光東照宮・これは有名ですね。2人目は、3代将軍徳川家光で、輪王寺にあります。そして、3人目は、15代将軍徳川慶喜で、谷中霊園にあるそうです。
昔の偉人等のお墓巡りをしているのもいいかもしれません。いろんな思いを感じられる気がします。
また機会がありましたら、何か書きたいと思います。