一休和尚の遺言

おはようございます(*´﹀`*)

青森県弘前市 大湯石材店のブログです。

 

今朝は出勤途中で二重に虹がかかっているのを見かけました。

虹を見るとなんとなーく気持ちが明るくなります。

なにかいいことがありますように。

 

さて。

何かいいことがありますように…とはいうものの、人生それだけじゃあ済まないこともたびたびありますよね。

みなさんは、にっちもさっちもいかなくなった経験はありますか?もし、大きな問題に直面したとき、あなたはどうしますか?

 

今日は、「一休和尚の遺言」という小話をご紹介いたします。


一休和尚が臨終のとき、「仏教が滅びるか、大徳寺がつぶれるかというような一大事が起きたら、この箱を開けなさい」と遺言を述べて、一つの箱を弟子に手渡した。

 

 それから、長い歳月が経過し、大徳寺の存続に関わる重大な問題が起きた。にっちもさっちもいかなくなったとき、和尚の遺言を思い出し、寺僧全員が集まって厳かに箱を開けることにした。

 中に入っていたのは一枚の紙だった。そこに書かれていたのは「なるようになる。心配するな」という一文だった

―引用「ものの見方が変わる座右の寓話」(戸田智弘・著 出版社・ディスカヴァー)P311-313


はい。

この話の最後に出てくる「なるようになる。心配するな」という言葉は、「どうせ、なるようにしかならないんだから、心配してもしょうがない」というようなニュアンスとは違います。この本の著者は、この言葉の前には「なすことをなせ」というメッセージが隠れているのではないかと考えています。

 

”一大事を前にしたとき、なすべきことをなさずに「なるようになる」と手をこまねいているだけでは、その通りの結果にしかならない。腕組みをしたまま、過ぎ去ったことを思い出して悔やんでみたり、来るか来ないかわからない未来のことを思い煩ってみたりしても仕方がない。

そうではなく、なすべきことをなさなければならない。みんなで知恵を出し合い、目の前にあることで自分達にできることをひとつずつ片づけていく。そうすれば、小野豆と事態は好転していくに違いない。自分たちの力が及ばないことはどうしようもないにせよ、自分たちが力の及ぶことについては、みんなの知恵と汗を結集して全力を尽くす。あとは「なるようになる」―つまり、なることはなるし、ならないことはならない。ここだけは、自分達の力の及ばぬ領域だから、心配しても仕方がないのである。それはどっちに転んでも「はい、わかりました」と受け入れるしかない。”(本文より引用)

 

目の前の現実を見て、ひとつひとつ出来る事をしていくこと。

それでも自分の力が及ばないものがあることは素直に受け入れることの大切さを説く小話でした。

 

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