浄土真宗本願寺派

こんにちは。

本日は『浄土真宗本願寺派』についてお話ししたいと思います。

承安3年(1173)、親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行を続けますが、やがて比叡山の仏教に絶望し浄土宗の宗祖法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。

しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪先で結婚した親鸞は非僧非俗の境地をひらき自らを「愚禿親鸞」(ぐとくしんらん)と名乗ります。

流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。そして元仁元年(1224)浄土真宗の根本聖典になる『教行心証』を執筆、この年が立教開宗の年とされています。

晩年は家族とともに京都へ帰り、90歳で往生するまで、盛んに執筆活動を行い、同時に関東の弟子達へ手紙で指導をつづけました。

親鸞の死後、教団は次第に衰微してゆきますが、第八世蓮如によって再興をはたします。そして、巨大教団へと発展したため、他宗派や大名からの弾圧が始まります。

織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され西本願寺と東本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。

総本山は西本願寺。

仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。

そこで阿弥陀如来は私達のような者を救おうと誓い、浄土を建立したのです。この、阿弥陀如来の建立した浄土に生まれる道を説くのが浄土真宗の教えです。

阿弥陀如来は私達のような者こそを、救いの対象にしているのだと説いているのです。

また、浄土真宗では「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。

ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。

自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が浄土真宗の念仏なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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