戦国武将のお墓

こんにちは。今回は、戦国武将のお墓をご紹介いたします。

前田慶次 (1533?~1612?)享年79?歳

戒名 不明 命日 不明 死因 不明

お墓の場所 堂森善光寺 山形県米沢市万世町堂森375 善興寺に埋葬されたという説があり、昭和55年(1980)に供養塔が建てられた。

人物プロフィール

生没年は諸説あり、はっきりしない。本名は前田利益、利治、利太、利大など複数伝わっている。滝川一益の従兄弟の子供とされるが、確証はない。

前田利家の兄・利久の後妻となった母の連れ子として、前田家の養子となった。やがて家督は、利久の弟・前田利家が継ぎ、慶次も利家に仕えることになる。

天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは、佐々成正に攻められた城の救援に向かったとえう記録が残っている。しかし、やがて慶次は利家と仲違いし、

前田家を出奔。この時、慶次は利家を騙して、「いい湯加減だ」と水風呂を勧め、あまりの冷たさに利家が悲鳴を上げている隙に名馬「松風」を奪って出奔

したという逸話が残っている。その後京都に赴き、悠遊自適の浪人生活を送りながら九条植通や古田織部といった文化人と交流、和学・連歌、茶の湯、武術を

学んだ。この頃、上杉景勝とその家臣・直江兼続と知り合ったとされている。慶次が文武とも認め生涯の友としたのが直江兼続であり、やがて兼続が仕える

米沢藩主・上杉景勝に仕えた。関ケ原の戦いでは、最上義光と戦い戦功をあげるが、その後再び野に下った。

近年につくられた小説や漫画の影響で、剛腕な武人で傾奇者とよばれながらも権力に屈しない、戦国の世を自由に生きた男とされるが、前田慶次に関する

資料はほとんど存在しない為、実像は不確かな部分が多い。

(戦国武将お墓参り手帖から引用)

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