戦国武将のお墓

こんにちは。今回は、戦国武将のお墓をご紹介いたします。

直江兼続 (1560~1619)享年60歳

戒名 英貔院殿達三全智居士 命日 旧12月19日 新1月23日 死因 自然死

お墓の場所 春日山林泉寺 山形県米沢市林泉寺1-2-3 墓所は山形県指定史跡

人物プロフィール

上杉家家老。米沢藩初代藩主・上杉景勝を支え内政・外交で活躍した。秀吉が、「天下の仕置きを任せられると称賛していた人物」として有名。

1564年謙信の養子となり、景勝に従い春日山城に入る。景勝の側近の直江家の婿養子となり、直江家を継ぐ。1598年秀吉の命で上杉家が、

越後から会津120万石に加増移封。兼続には米沢30万石の所領が与えられた。

秀吉が死去すると、家康は再三、上杉家に上洛を促してくる。さらに、謀反の嫌疑をかけられた。これに対して兼続が真っ向から反論したものが、

あの有名な「直江状」である。これに激怒した家康は上杉征伐の為、大群を率いて会津へ出陣。この時家康不在になった隙をついて、光成が挙兵。

関ケ原の戦いが起こると上杉家は西軍側につき敗れた。

1601年、景勝とともに上洛して家康に謝罪。お家取り潰しは免れたが、上杉家は、米沢30万石へ減封。大減封されたが、兼続は「人こそ財産。

来たいものは、みんなついて来い」と人員整理を行わなかった。その後、開墾・産業育成・城下町整備に尽力し、米沢藩の基礎を築いた。

兜の前立ての文字は「愛」。   (戦国武将お墓参り手帖から引用)

 

 

 

 

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