日本での信仰の歴史 つづき

こんにちは。

GWも終わって今日から仕事という方も多いのでは?

気を引き締めて頑張りましょうヽ(^o^)丿

 

さて。

続きです。

 

日本のキリシタンは何故潜伏しなければならなかったのか。

前回もお話しした通り、幕府からの弾圧があったからです。

 

まず秀吉から。

長崎から爆発的に広がっていくキリスト教に、秀吉は邪念をいだきます。

西洋人は宗教をつかって日本を支配下に置くのではないかと考えたからです。(実際、十字軍の遠征など、布教と共に領土拡大を成功させています)

そして、自己犠牲や平等の教えは、幕府の権力支配にとっては脅威でした。

秀吉は1587年に伴天連追放令を出します。

 

その後、徳川家の時代、1612年に禁教令が出され、それまで黙認されていた島原でも迫害がはじまり、拷問による改宗、そして従わない場合は処刑という酷いものでした。

それに抵抗したのが有名な島原の乱です。

この乱は、宗教的な問題だけではなく、領主松倉勝家の圧政が一番の問題だったのではないかともいわれています。

 

キリシタンたちは自分たちの信仰を必死で守っていきます。

長崎市国内観光客誘致推進委員会によると、

『幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれ独自の信仰の形をつくっていったのです』

 

現在は宗教の自由が認められています。

お墓も自由に選んで建てられます。

幸せなことです。

 

宗教に関係なく、先人が守ってきた心は、大事に受け継いでいきたいものです。

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