戦国武将の墓

こんにちは。今回は、戦国武将のお墓をご紹介いたします。

上杉景勝 (1555~1623)享年69歳

戒名 覚上院殿法印権大僧都宗心 命日旧3月20日 新4月19日 死因病死

お墓場所 米沢藩主上杉家墓所 山形県米沢市御廟1-1869

米沢藩主上杉家墓所では、初代から15代藩主を祀っている。

人物プロフィール

長尾政景の次男。叔父である上杉謙信の養子となった。謙信の死後、実子がいないので、家督を巡って2人の養子が対立した。

謙信の甥である景勝と、北条家から養子にきた景虎である。この戦い(御館の乱)に景勝は勝利する。

武田家と親密な間柄を保ち信玄の五女の菊姫をめとっている。

武田勝頼が織田信長によって滅ぼされると、上杉家は窮地に陥った。しかし、本能寺の変が起こり窮地を脱した。

豊臣政権が確立すると、景勝は大阪に出向き、秀吉に臣従を誓った。小田原の役、文禄の役にも参戦し、会津120万石に国替えされる。

秀吉の死後、五大老の1人となる。しかし、徳川家康は上杉家を警戒し上杉討伐にでる。この時、家康不在を機に石田光成が挙兵し

関ケ原の戦いとなる。景勝は、関ケ原の戦いで光成側と同盟して敗れた為、会津から米沢30万石に移された。

転封先米沢では、内政に力を注ぎ、明治維新まで続く米沢藩の礎を築いた。

(戦国武将のお墓参り手帖から引用)

山形を訪れたときには、上杉家墓所をお参りしてみたいですね。

 

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