お知らせ

鹿児島県出身

2017年9月25日

こんにちは。

穏やかな気候で嬉しいですね。

青空が澄んでいると気分がいいものです。

 

さて。

今月公開の映画「関ケ原」

観に行くという方も多いのでは。

 

東軍リーダー徳川。西軍リーダー石田。

の、約6時間の戦の話です。

 

個人的に某ファンタジー戦漫画にはまっているので、、、、、

丸に十の字の紋。

鹿児島県(薩摩)の、島津義弘・豊久に注目したいです。

 

この関ケ原での島津家。

簡単にわかりやすく説明すると。

 

もともと島津(義弘)は徳川の要請で出兵したのに、伏見城で入城を拒否されて孤立。紆余曲折があって石田につく。

島津家は開戦後しばら~くは動かず、その間、だいぶ手こずって困った石田は部下に「島津呼んでこい」と命令。

しかしこの部下。馬上から「島津ー。助けろよー」と言ったので島津家は激怒し追い返した、という言い伝えが。(人に物ごとを頼む時はそれなりに礼義を重んじるべきということですね)

 

そしてご存知の通り、小早川らが徳川にキャリアチェンジ。

西軍敗色濃厚となったとき、島津義弘は自刃を決意。

しかし甥の豊久が必死に薩摩への帰還を説得。

 

そして、島津は徳川本陣に向かって突進。旗指物、合印等の戦闘に直接必要ないものは全て捨てての猛突進。

島津は戦闘能力が高いと評判の軍。

この行動に徳川をはじめ井伊、本多、松平もビビる。

ところが向かってきた島津が急に方向転換。

実は島津の目的は徳川寄りにある伊勢街道。(伊勢街道を使い、さらに進んで難波から船で薩摩という退却ルートだったらしい)

このとき豊久をはじめ島津の兵は「捨てがまり」という戦法。

捨てがまりとは、退却の際に殿(しんがり)が数名残り敵を足止めし時間稼ぎ。その間に部隊を逃がす、というもの。

当然、死ぬ覚悟。(先程も言いましたが、島津は戦闘能力に長けている。このとき井伊直政も狙撃されたとか)

この捨てがまりを繰り返し、勇猛果敢な戦を行った島津のこの作戦は「島津の退き口」として、現代でも有名。

この作戦中に豊久は戦死。

しかし、義弘は無事薩摩に帰還。

 

これが、関ケ原での島津のだいたいのストーリー。

 

映画で島津がどれくらい活躍するかは不明ですが、脇役に注目しながら観るのも楽しいのではないでしょうか(*’▽’)

 

※余談ですが、豊久は才色兼備で初陣の際に「無双の美童」と呼ばれたとか。どれくらいの美男だったかは不明だし、現在とは美的感覚が同じとは限りませんが、目を見て話すだけで愛されキャラになったようです。その時代に写真があれば・・・・。

 

 

 

 

 

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有名人のお墓 9月21日

2018年9月21日

こんにちは(^ω^)

弘前市 おおゆ石材のブログです。

今日は 詩人であり、童話作家であり、教師であり、農業科学者でもあった、宮沢賢治が亡くなった日です。

宮沢賢治は1896年8月27日、岩手県(現花巻市)に生まれ、闘病の末に37歳で亡くなりました。

仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、作品の中にある架空の理想郷に岩手県をモチーフとしてイーハトーブと名付けたことでも知られています。

代表作に「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」「雨ニモマケズ」「セロ弾きのゴーシュ」などさまざまな有名な作品があります。

宮沢賢治のお墓は

故郷の岩手県花巻市の身照寺にあります。身照寺には「宮沢賢治墓所」と記された看板があり、誘導通りに進めばたどり着くことができます。

墓所に行くと、宮沢家の代々の墓と五重塔が二つ並んでいます。

宮沢家は浄土真宗でしたが、賢治が日蓮宗法華経に改宗していたため、賢治の父は、賢治の死後、宮沢家の先祖代々の墓をこの寺に移し、賢治を供養するために五重塔を建てました。この五重塔が賢治の供養塔になっています。

 

 

 

 

 

エジプト第25王朝の首都の名前

2018年9月20日

こんにちは。

陽が昇りきるまでと陽が落ちてからが寒いですね。

空調の調整がとても難しいです。

 

さて。

本日はスーダンの文化遺産「ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群」。

ゲベル・バルカルとは、スーダン北部、ナイル川の屈曲部沿いにある高さ98mほどの小山で、ここで見つかったアモン大神殿は、地元民に神聖視されていたと考えられています。

その他、周辺には13の神殿・3つの宮殿等を含む様々な遺跡が発見されています。

ナパタ地方の遺跡群とともに2003年世界遺産登録されました。

(ナパタとは、元々はエジプト第25王朝の首都の名前です)

ナパタ地方の遺跡群にはエル=クッル、ヌリ、サナム、ズマの墓所群があります。

エル=クッルには王族の墓も含む34基、ヌリには「ヌビアのピラミッド」と称される82基、ズマにも墓所を含む遺跡があり、サナムは墓所でありながら、「宝物」と呼ばれる何故建設されたかが解明されていない不明の巨大遺跡もあります。

解明されたら、この時代の宗教観や文化思想もわかっていくのでしょうね。

 

世界にはたくさんの不思議があります。

歴史や遺跡は好奇心をくすぐります。

秋の良い気候。

世界遺産でなくても、歴史や遺跡に触れてみるも良いかもしれないですね。

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石材店に行く前に読む本

お墓の窓口

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