お知らせ

意外と知らなかった?「伝統的なお墓」っていつからの話?

2018年8月25日

こんにちは。青森県弘前市 大湯石材店のお墓のブログです。

 

少し冷え込んで今年の冷房の出番はサヨナラかと思いきや、まだまだ暑い日続くんかーい(笑)という感じです。

今年の天気にはフェイントをかけられまくりですね(笑)

なんにせよ、あまり寒くならないうちに食べものがおいしい季節がやってきそうなのは嬉しいばかりです(^p^)

おいしい秋刀魚が食べたいです(^p^)♡

 

さてさて。

今日は【意外と知らなかった?よく言う「伝統的なお墓」っていつからの話?】というテーマで更新していきます。


みなさん。お墓といったらどういうものを思い浮かべますか?

 

およそだいたいの方が連想されるのは

お墓といったらこの形。どん!

という感じではないでしょうか?

これは、お墓の形の中でも「和型墓石(わがたぼせき)」といって、伝統的なお墓の型とされているものです。

 

ずーっと昔からあるような、なんとなくそんなイメージのこの形。

カロート(火葬した遺骨を納めるスペース)が内蔵されているものが一般的ですが、

実はこれ、全国に広まったのは意外と最近の話なんです。

 

今の形が主流になったのは戦後だった・・・?

この和型墓石の形が使われるようになったのは江戸時代からと言われています。しかし、最初はあくまで江戸や大阪、京都など都市部の密集地帯で火葬が行われる際に使われているものでした。当時、民衆のほどんどは土葬、風葬、あるいは遺棄等が多く、この形は広まっていなかったそうです。

衛生上の問題などで火葬の割合が50%を超えたのは1950年代の戦後のお話。火葬が民衆の間に広まるのとともに、このカロート式の和型墓石の形が全国に広まっていったそうです。

今2018年なので…1950年代だと60~70年前。ええ…。学校の日本史の授業で例えると、だいぶ後半に駆け足で習うくらいの最近っぷりです。(※個人の見解です)

 

また、明治時代以前は個人墓が主流で、家族墓というものは見られませんでした。

今ではよく見られる「○○家之墓」という表記や「家族でお墓に入る」という慣習は、明治民法に規定された家制度に基づいて制定された墓制によるものなのです。

 

ふむ。

「伝統的なもの」として伝えられてきたお墓のあり方や形。ずーっと同じものが受け継がれてきたのかと思いきや、今までも時代の背景によって少しずつ変化してきたんですね。

現在、取り上げられることが多い「お墓の承継者がいない」という問題は、明治時代に作られた家制度を引き継いできた慣習と、現代社会にみられる「核家族化」のギャップが原因のひとつなのかもしれません。それによって見えるお墓の形態の変化も、また必然なのでしょうね。

 

個人的な希望ですが、どんな時代の変化があれど「帰る場所がある」人生を送りたいな、と思っています。

それが安心できる暮らしということなのかな、と。それがあるのは当たり前のことではないのでしょうが。

自分が亡くなったとき、それはやはり「お墓」に当たるのかな、と。

もしかしたら、そこにお墓が「石」で作られている意味もあるのかもしれませんね。

 

少しだけ、自分のお墓はやっぱり欲しいな、と思うきっかけになったお話でした。

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有名人のお墓 9月21日

2018年9月21日

こんにちは(^ω^)

弘前市 おおゆ石材のブログです。

今日は 詩人であり、童話作家であり、教師であり、農業科学者でもあった、宮沢賢治が亡くなった日です。

宮沢賢治は1896年8月27日、岩手県(現花巻市)に生まれ、闘病の末に37歳で亡くなりました。

仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、作品の中にある架空の理想郷に岩手県をモチーフとしてイーハトーブと名付けたことでも知られています。

代表作に「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」「雨ニモマケズ」「セロ弾きのゴーシュ」などさまざまな有名な作品があります。

宮沢賢治のお墓は

故郷の岩手県花巻市の身照寺にあります。身照寺には「宮沢賢治墓所」と記された看板があり、誘導通りに進めばたどり着くことができます。

墓所に行くと、宮沢家の代々の墓と五重塔が二つ並んでいます。

宮沢家は浄土真宗でしたが、賢治が日蓮宗法華経に改宗していたため、賢治の父は、賢治の死後、宮沢家の先祖代々の墓をこの寺に移し、賢治を供養するために五重塔を建てました。この五重塔が賢治の供養塔になっています。

 

 

 

 

 

エジプト第25王朝の首都の名前

2018年9月20日

こんにちは。

陽が昇りきるまでと陽が落ちてからが寒いですね。

空調の調整がとても難しいです。

 

さて。

本日はスーダンの文化遺産「ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群」。

ゲベル・バルカルとは、スーダン北部、ナイル川の屈曲部沿いにある高さ98mほどの小山で、ここで見つかったアモン大神殿は、地元民に神聖視されていたと考えられています。

その他、周辺には13の神殿・3つの宮殿等を含む様々な遺跡が発見されています。

ナパタ地方の遺跡群とともに2003年世界遺産登録されました。

(ナパタとは、元々はエジプト第25王朝の首都の名前です)

ナパタ地方の遺跡群にはエル=クッル、ヌリ、サナム、ズマの墓所群があります。

エル=クッルには王族の墓も含む34基、ヌリには「ヌビアのピラミッド」と称される82基、ズマにも墓所を含む遺跡があり、サナムは墓所でありながら、「宝物」と呼ばれる何故建設されたかが解明されていない不明の巨大遺跡もあります。

解明されたら、この時代の宗教観や文化思想もわかっていくのでしょうね。

 

世界にはたくさんの不思議があります。

歴史や遺跡は好奇心をくすぐります。

秋の良い気候。

世界遺産でなくても、歴史や遺跡に触れてみるも良いかもしれないですね。

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石材店に行く前に読む本

お墓の窓口

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