お知らせ

今回は、名古屋城

2017年2月28日

こんにちは!

今日は、いい天気ですね。なんかウキウキしますね。

さて、今回はお城の第二弾、名古屋城の事を書きます。

尾張名古屋は城でもつ、といわれたお城で、徳川家康の号令で、天下普請により築城されたものです。

太平洋戦争で本丸御殿や天守が焼失したため、天守は戦後再建されたものです。

名古屋城は、1521年(大永年間)ころ、今川氏親が柳ノ丸を築城したのが始まりで、後に1538年(天文7)織田信秀が、今川氏豊を滅ぼし城を奪い、那古野と改称したという。1582年(天正10)那古野がこのころ廃城となる。1609年(慶長14)徳川家康が、九男義直の居城として名古屋に城を築くことを決定し、翌1610年(慶長15)に築城を開始、1612(慶長17)に名古屋城天守が完成、1615年(元和1)名古屋城本丸御殿が完成、1616年(元和2)徳川義直が、清須城から名古屋城に移り城主となった。

この写真の石垣ですが、熊本城のときにも書きましたが、加藤清正による、清正流による勾配の美しい石垣の写真です。加藤清正はこの他、大阪城の石垣造りにも携わっています。当時では、非常に高い土木技術をもった、石垣名人だったのです。この石垣は、美しいだけでなく、武者返しの実用性に加え、地震対策の意味もあると言われています。よういえば、熊本城も地震の時には少ない石垣で持ちこたえていましたね。素晴らしい技術です。

名古屋城は内装も素晴らしいです。書院一之間や、玄関上之間など沢山の襖が復元されて見る人を魅了しています。

最後に、名古屋城といえば、金の鯱ですよね。

鯱は雄と雌があり、現在の鯱は、一対で約88kgの18金を使用して復元されているそうです。竣工当時は、慶長大判1940枚分、215.3kgの純金が使用されていたそうです。今もそのままだと、いくら位の価値が有るんでしょうかね。

今回はこれで終わりますが、日本には沢山のお城があります、勿論弘前城も含め見ごたえの有るものばかりだと思います。

是非機会がありましたら、お城を見学して見て下さい。

またできたら、お城を紹介したいと思います。

 

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トピックス&イベント情報

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墓石展示場

2019年2月21日

こんにちは。

今回は、浪岡店墓石展示場のご案内です。墓石展示数は13基(平成31年2月現在)です。

石種は10種類で展示しております。和型・洋型・和洋型と様々なデザインがあり、墓石

建立のご予定がある方には、ご参考になると思います。

事前にご連絡頂ければ、弘前店への送迎も致します。(弘前展示場114基)

ご自身の目で、ご覧になれる展示場です。スタッフ一同、ご来店お待ちしております。

お墓用語のおさらい2

2019年2月20日

こんにちわ。

少し前に、よく出るであろう墓石用語について簡単に触れましたが、

今回もまたいくつかピックアップしてみようかと思います。

御影石=お墓に一般的に多く使われる石で、「花崗岩」や「閃緑岩」の通称名として呼ばれます。色や品質、原産地など様々な種類があります。

基礎=お墓の基礎は家のそれと同じく、お墓の設置を長く安定させるためにとても重要な工事です。主に土の中、見えなくなる部分に鉄筋入コンクリートを用いて施工します。

化粧砂利・貼石=前回お話した石塔と外柵の間の空白部分に配置することで美観をあげるものです。元々は玉砂利を使うのが主流でしたが、最近は石でタイル張りにする貼石施工が人気です。

建之=「けんのう」と呼びます。「このお墓を建てました」という意味で、お墓の裏などに建立日などと一緒に彫られることが多いです。

墓誌=埋葬された方の戒名や没年月日などを彫刻するための石板。これを使うことでより手軽に戒名などをお墓に残すことができます。

今回はこの5つを取り上げてみました。

見たことだけはあっても意味までは分からなかった、というものもあったかもしれません。

しかしお墓を建てる上では割と出やすいものなので、頭の片隅ででも覚えておくと役に立つかもですね。

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石材店に行く前に読む本

お墓の窓口

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